アマカン講談師の講談的ひとりごと

講談と講談師について、アマチュア講談師が気ままに語ります。

第二十六席 今日も、講談ストーリーテリングです‼️

講談はストーリーテリング!

ここでは、WEBでの講談になりますが、
こちらの記事をお読みいただいている皆さま、
是非、声に出して、ご自身のお持ちの講談のイメージで
ストーリーをお楽しみください。

ストーリーテラーになったつもりで是非‼️

うちにあった無料の雑誌「スポーツゴジラ」第34号
「 特集・セカンドキャリアで成功する」

むむむ、伊能忠敬の話かな?
と思って開いてみたら、
そこは、一応 スポーツゴジラ ですから、スポーツに関わる話。

プロのスポーツ選手から弁護士、シェフ、俳優、悪役スター
というセカンドキャリアを選んだ人たちのストーリーでした。

まず、今日は
元、Jリーガーの八十祐治さんのストーリーを
講談としてお取次致します。


今を遡りますこと50年ほど前、
大阪高槻市のごく普通のサラリーマン家庭に
男の子が生まれました。ユウジと名付けられました。

この、ユウジ、物心つくかつかないかの頃から、
サッカーボールを追いかけるのが大好きで、
近所の子どもたちとの遊びは、もっぱらボール蹴り。

中学校ではもちろんサッカー部に入部。
めきめき上達したユウジは、高校に入ると、
大阪代表、関西代表に選ばれます。

名門の国立大学に入りましたが、相変わらずサッカーひとすじ。
ユニバーシアードの代表にも選ばれました。

そして、その実力を買われ、プロサッカーチームにスカウトされ、
契約することになったのでございます(講談でしたら、ここで、張扇 パン!)
「やっと、夢が叶った! プロでも頑張るぞー」

初めてピッチに立った5月29日 試合には負けましたが、
プロのピッチで
「やったぜ、ついにこの日が来た」

しかし、2年在籍したそのチームで
ユウジが試合に出たのは3試合だけでございました。

程なく二軍落ち。
「なんとかしなくてはー、早く結果を出さないと一軍に戻れない」

そう思っても結果が残せない、焦る気持ちも湧いてきますから、
ますます結果につながらない。

その後、別のチームに移籍しましたが、そこでも芽が出ず、
結局、8年間ただひたすら、あがいていただけでございました。

「努力しているつもりなんだけど」

ユウジは思い出しました。

「昔は、俺がなんとかするから、俺にボールを出せって気持ちでプレーしていたなー。
でも、プロになってからは、ミスしたらどうする、またミスするんじゃないかー
そんなことばかり考えるようになったなー」

結局、ユウジはプロを引退して、
働きながら実業団でプレーする道を選んだのでございます。

「サッカーしかしてこなかったから、大した仕事できないでしょ」
与えられた仕事は雑用ばかり。

「もう、30歳。
このまま、定年まで30年、こんな仕事をしていくのか」
そう思ったユウジは、いたたまれなくなりました。

「いっそのこと、一番難しい資格を取って、見返そう」
そんな思いで、司法試験の予備校になけなしの貯金をはたいて
100万円を振り込んだのでございます。

仕事をしていては勉強に集中できないので、仕事を辞めて大阪に戻ります。

「しかし、家族もいるというのに、仕事を辞めて勉強だけしていてもいいのか」

社会から隔離された不安と、なんとも言えないプレッシャーに苦しみます。

「合格する保証もないのに、こんなことやってていいのか」
その不安をかき消すために勉強する!(講談なら、ここで張扇パン‼️)

そして、勉強を始めてから2年、合格発表の日がやってまいります。

「受かってたぞー」
わざわざ、発表を見に行ってくれた兄から携帯に連絡が入りました。

「あー、これで、あの勉強しなくて済むんだー」
喜びよりも解放感を味わったのでございます。

いまや、弁護士として活躍するユウジでございますが
サッカーで結果が少しでも出ていたら、
もしかしたら司法試験までには挑戦しなかったかもしれない、
人生は、どこでどうなるかわからない、

来た道を振り返って改めて感じるユウジでございました。

本日のところは、
「サッカー選手のセカンドキャリアは弁護士!」という一席
これをもって読み終わりと致します。