アマカン講談師の講談的ひとりごと

講談と講談師について、アマチュア講談師が気ままに語ります。

第四席 「講談師 神田愛山の前で、初めて講談を読む」

平成15年7月21日、
講談師、神田愛山の講談
結城昌治先生の替玉計画を
講談仕立てにしたものを聴きました。

講談を初めて聴いた時と同じくらい、
いや、それ以上に体が震えた私は、
愛山先生に電話をかけ、
小田急線の狛江で会うことになりました。

狛江駅の改札前の柱に寄りかかり、
うなだれるように(笑)立っていた愛山先生の姿は、
今でもはっきり憶えています。

「ご馳走しますよ」

ご馳走していただきました!
駅前のマクドナルドのコーヒー(笑)

「愛山先生、どうしても先生に講談を教えていただきたいんです」
先生は、ずいぶん気乗りのしない感じでしたが、

「まー、じゃー、一回うちに来てください」

そして、御宅の住所を尋ねておどろきました‼️

なんと‼️
私のうちから、自転車で15分もかからないところだったんです!

これって、すごいことですよ、どう考えても。

もし、愛山先生の御宅が
つくばエクスプレスで行かなくてはいけない
交通費がやたらかかるところだったりしたらー

いや、講談師、神田愛山に講談を習いたかったから、
お金に糸目はつけなかったと思いますけどー

要するに、近い ということは、
それだけで立派なご縁があるということだと思うわけです。


とにかく、自転車を漕いで、少し迷いましたけど、
愛山先生のお宅に到着しました。

その頃、学校の読み聞かせボランティアで読んでいた
有島武郎の「溺れかけた兄妹」を講談にしていただくために、
作品のコピーを渡してありました。

愛山先生は、講談に仕立てくださっていて
原稿を私に下さいました。

「あ、台本は先に見ないようにー。
僕がこれから読むから、録音して、
音が耳に馴染むまで、字は見ないように」
と言われました。

その頃、まだカセットテープを使っていたんですよねー。
ですから、
ソニーのカセットレコーダーで、講談を録音しました。

その講談を、
家事の最中に流し、
仕事の行き帰りにヘッドホンで聴き、
とにかく聴き続けました。

そして、テープを起こし、講談を文字にします。

他の講談師の方もそうだと思いますが、
先生の講談は毎回微妙に違うので、渡された台本は参考にしますが、
最初に覚える時は、今でも自分でテープを起こしています。

耳に馴染んできたなと思ったところで
(最低100回は聞かないと、耳に馴染んだなという気がしません)
台本を少しずつ覚えていく〜という感じです。


「溺れかけた兄妹」を何回も聞いて、
練習し、台本を見なくてもよくなったところで
先生に電話をして、稽古の日程を決めました。

「ちゃんと覚えたし、テープに似た感じで講談が出来るようになったから
大丈夫だわー」

先生の前で演じたところ、
「それ、講談じゃないねー。
朗読に近いかなー。
メリハリがない。」
とあっさり言われたのです。

しかし、私は自分が読んだ講談を
(講談は、演じることを「読む」と言います)
録音したテープを聞いても
どこに差があるのか、わからなかったのです。

その頃は、本当にわかりませんでした。

今だったら、多分、そのテープを3秒聞いたら即カセットデッキを止めます(笑)
聞いてられないこと、間違いなし。

それはともかく、
愛山先生に、
「講談じゃない」とアッサリ、バッサリ切られたのが悔しくて、

しかも、同じネタを3回、先生の前で読んでも毎回、
「それ、講談じゃない」と言われたのです。

悔しさと情けなさで、
うちに帰って、捨ててもいいような茶碗を
キッチンの三和土に叩きつけて割ってましたー(笑)

それでも、講談の稽古も、
愛山先生という講談師の教え方も
イヤになったことは
一度もありませんでした。

このあと、どうなっていったかは、 また次回に譲ることに致しまして、
今回は、「講談師 神田愛山の前で、初めて講談を読む」
の一席、これをもって読み終わりと致します。