アマカン講談師の講談的ひとりごと

講談と講談師について、アマチュア講談師が気ままに語ります。

第五席 「先生がいたおかげで、ますます講談にのめり込む」

有島武郎の「溺れかけた兄妹」の講談の稽古も終わりました。

稽古は、「三回稽古」です。

講談だけではなく、落語も「三回稽古」ではないかと思うのですが、
つまり、先生(講談の場合は、「先生」と呼び、落語では「師匠」)が、
お手本となる講談を読みます。

それを録音します。
昔は、録音出来なかったでしょうから、
大変だったでしょうねー。

録音したものを覚えて、先生の前で読んで聞いてもらいます。
一回め、ダメ出しが出ます。

ダメと言われたところを
何度も稽古して
二回めの稽古。

また、ダメ出しされて、稽古して、
三回めの稽古。

ここでもまたダメ出しされるんですが、
先生の前でやるのは、三回まで と決まってます。

それからは、自分でやる場所を見つけるんです。
それが、ボランティアで行くデイサービスだったり、
学校だったり。
そうやって、ネタを育てていく。


今、思い出すと本当に有り難かった会があります。

先生が、プロの若手の講談師と
私のようなアマチュア講談師とのジョイントの会を
何年間か定期的に開いて下さっていたんです。

この会に出るために、
新しいネタを必死に覚える、
本番当日も、出番前までトイレの中で台本を見ていました。

あの会のために覚えたネタは、文字通り、
宝物であり、今でもいろいろなところで
読ませていただいています。
そんなネタの中で、学校やイベントなどでよく読むものに
「西行鼓ヶ滝」があります。

これは、鎌倉時代の有名な歌人、西行の歌修行にまつわる話ですが
わかりやすい話なんです。

この話を初めて稽古した時にも、
いつものダメ出し

「講談じゃないねー」
「メリハリがないねー」
「一本調子だねー」

そして、先生がその時にこう仰いました。

「講談というのは、
押したり引いたりしながらひとつの物語を活写する芸。
講談というのは、本当に楽しいもんなんだよ」

この言葉が、とても印象的で、
今でも大好きな言葉でもあります。

先生が、説教じみた感じで仰った訳でなく、
諭すように言われた訳でもなく、
本当に楽しいんだと心底思っていらして、
それがポロッと口を突いて出た感じです。


私の方は、
いくらダメ出しをされても、
頑張っているのに同じ注意をされても
一向に落ち込むことなく、

毎日、うちで講談のテープを流し、
仕事の行き帰りに講談を聴き続け、
休みの日には講談会に出かけ、

講談を聴けば聴くほど、やればやるほど
講談が好きになっていきました。

休みの日に、うちで掃除機をかけている時に
「こんなこと、やってていいのか?
のんびり掃除してていいのか?
講談 聴きに行った方がいいんじゃないのか?」

マジでそんなこと考えていました(笑)

しかし、それだけのめり込んだのは、
もちろん講談を好きになってしまった
ということが大きいですが、

やはり、
稽古で先生にいろいろダメ出しをされた、
ダメ出しされ続けた、
というのも、のめり込んでいく大きな原因になったと思います。

どうすれば、もう少しマシになるのか?
どうしたら、朗読じゃなくて講談になるのか?

そういうことばかり考えていましたから。

でも、全く苦しくありませんでしたー。
本当に、講談というのは私にとっては特別のものなのでございます。

本日のところは
「先生がいたおかげで、ますます講談にのめり込む」と題しました一席

これをもって読み終わりと致します。