アマカン講談師の講談的ひとりごと

講談と講談師について、アマチュア講談師が気ままに語ります。

第二十席 自分で作った講談

今まで、いくつか講談を作ったことがあります。

昭和の大御所の歌手の歌をベースに、
というか、歌詞の内容に合うような講談ではなくてもいいから、
タイトルだけ使って講談を作って欲しいと言われたので、
挑戦してみました。

印象に残っている親の言葉
最近知ったこと
これを結びつければ、講談が出来るぞ、あのタイトルで!

なんのことかおわかりいただけないと思うので、
具体的に書きますと、

舟木一夫の大ヒット曲 「高校三年生」をタイトルにする。
印象に残っている親の言葉は、
「この子(私の弟)は、歌が全部歌えないから、
「クーラス仲間はいつまでもー」の
「もー」だけ言って歌った気になってる」

最近聞いたこと(最近と言っても、もう10年ほど前ですが)は、
「耳の不自由な人は、メールのおかげで
コミュニケーション手段が格段に増えた」

この2つを結びつけて、
ろう学校を舞台に何か書けるぞと思ったのです。

で、一気に書き上げました。

そして、先生に見せたところ、
これは面白いからやってみようと、
高座にかけていただいたところ、

その講談を聞いたお客さんから
中学校でもやって下さい
大学で聞かせたいなどと
リクエストをいただきました。

自分の書いたものを
もう一回聞きたい、
誰かに聞かせたいと思ってくださるというのは
ありがたいことです。

そんなによく書けてたかなー
とか思ったんですが、
ふと気がついたんです。

講談というのは、
書いただけでは終わらないー

それを音にして読んでくれる人がいないといけない。

で、その読む人の力に大いに左右されるんだ
ということに気がついたのです。

果たして、「高校三年生」を私が読んで、
リクエストが来ただろうか
と考えてしまった訳です。

この他にも、
私の故郷の桜の品種改良に尽力した方の
講談を書いたことがありました。

これは、資料を調べなくてはいけなくて、
本当に苦労しました。

めいっぱい興味があることではなかったし、
「あ、あれとあれを結びつければいいんだー」と
いうヒラメキみたいのもなかったし、

結構苦しみました。
結構苦しんだ割には
というか、結構苦しんだせいか、

あまりよく書けたとも思えず・・・

でも、何度かこのネタをやって下さいと
リクエストをいただきました。

で、その時に気をつけたのは、
「講談の出来がイマイチだから
読み方に工夫するしかない(笑)」ということ。

文字になっているものを、音にして読むというのは、
言ってみれば、
寝ている文字を起こしてやること

この起こし方を工夫しようと思った訳です。

それで、マクラで仕込み、
くすぐりも入れ、
「こんなことがあって、こうなって、ああなって、
だから、こうなんですよー」と
聞かせる、講談を聞いてもらう。

ここに気をつけたところ、
なんとか聞いて貰える講談にはなっていたのかもしれません。

本日のところは、「自分で作った講談」の一席、
これをもって読み終わりと致します。