アマカン講談師の講談的ひとりごと

講談と講談師について、アマチュア講談師が気ままに語ります。

第二十五席 読み聞かせとストーリーと講談と。

いま、息子は独り立ちしていますが、
その息子が小さい時に、本当に一生懸命息子にしてやったと言えるのは、
絵本の読み聞かせです。

読んでやった絵本はうちにだいたいは取ってあるのですが、
驚いたことに、息子は、
25年以上前に読んでやった絵本、その内容をほとんど覚えていたのです。

絵本、特にわかりやすいストーリーがある絵本は
ずっと忘れられない。

さらに、これは絵本ではありませんが、
子どもを寝かしつけるために、布団の中に入って

「昔、昔 あるところにおじいさんとおばあさんがおりました。
おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。

ある日のこと、おばあさんが川で洗濯をしておりますと、
向こうの方から大きな桃がどんぶらこ どんぶらこと
流れてきました・・・」こうやって語っているうちに
(まさに、ストーリーテリング)子どもも親も眠っていく・・・

日本人なら誰もが知っている桃太郎のお話。

これは、絵を見る絵本ではありませんが、
ストーリーであるがゆえに、
いつまでも、頭の中にこびりついているんだと思うのです。

講談も同じで、鮮明なストーリーのあるものは、
絵本の読み聞かせと同じで、いつまでも覚えている・・・

覚えているというのは、絵本の読み聞かせをしてもらった時、
ストーリーなり、講談なりを聞いた時に、
グイグイと引き込まれているからですよね。

ストーリーではないと、こうはいきません。

「アイデアの力」という本があります。
出版社は日経BP社。
全米150万部のベストセラーだそうです。

この本の冒頭に面白い話が載っています。
アウトラインのみになりますが、引用してみます。
・・・友人のデーブが顧客との打ち合わせのために、ある都市に出張に行った。
仕事を終えて、帰りの飛行機まで時間があったので地元のバーで一杯飲むことにした。

ちょうど一杯飲み終えた時に、魅力的な女性が近づいてきた。
「もう一杯いかが?ご馳走するわ」
驚いたが、悪い気はしない。
「いいね」
女性が飲み物を二杯持ってきた。
一杯は自分が取り、一杯はデーブに差し出す。

デーブはお礼を言うと、グラスに口をつけた。
記憶はそこで終わり。

気がつくと、デーブはホテルの風呂の中で氷水に浸かっていた。

慌ててあたりを見回すと、一枚のメモに気がついた。
「動くな。救急車を呼べ」

風呂のそばの小さなテーブルの上に置かれていた携帯電話を取ると、
氷水でかじかんだ指で、不器用に911番をプッシュした。

交換手は、不思議なことに、デーブの状況がわかっているようだった。

「いいですか、ゆっくりと背中に手を回してみてください。
腰のあたりからチューブが出ていませんか?」

デーブは不安に駆られながら、腰のあたりを手探りしてみた。
確かにチューブが出ている。

交換手は続けた。
「落ち着いて聞いてください。あなたは腎臓を一つ取られたのです。
この町で暗躍する臓器狩り組織の犯行ですね。
いま、救急車がそちらに向かっています。
動かずに待っていてください」・・・・・

この話、一度聞いたら、一度読んだら、忘れたくてても忘れられませんよね。

記憶に焼き付いてしまうと言う感じです。
そして、チャーミングな女性にお酒を勧められても断ろうという気持ちになりますよね。

「アイデアの力」には、
これと対比させて、次の文章が載っています。

ある団体の資料からの引用です。
「包括的なコミュニティ構築は、必然的に既存の慣行を活かしてモデル化出来る
投資収益率の原理に役立つ。
CCIへの資金の流れを制約している要因は、資金提供者が助成を行うにあたり、
アカウンタビリティーを確保するために、しばしばターゲット設定やカテゴリー化の
条件に頼らざるを得ない点である」

こうやって入力しても、何一つ頭に残っていないのは、
私に問題があるのでしょうか〜😂

極端な例ではありますが、ストーリーの力をまざまざと見せつけていると思います。

臓器狩りの話など、講談にして子どもに読み聞かせるようにしたら、
みんなグイグイ話に入ってくるでしょうねー。

このストーリーの力を、普段の生活や仕事に活かせないか、
講談を普段の生活やビジネスに活かせないか、
いろいろ考えています。