アマカン講談師の講談的ひとりごと

講談と講談師について、アマチュア講談師が気ままに語ります。

第十七席 伊能忠敬の講談

北海道のAさんという高校の先生は
講談をお書きになるんです。

このAさん、最初は講談をお書きになるだけだったのに、
最近では地元で寄席や講談会を開いて
自らも高座で講談をお読みになっています。

たいへん生真面目な方で、話し方も
なんか堅い感じなんですが、
高座は、なんとなく面白い、
いわゆるフラがあるんですよね。


このAさんのお書きになった講談に
「志をもつ男」という講談があり、
私も何度か高座で読んだことがあります。

この講談、モデルがおりまして、
誰かというと、伊能忠敬。

伊能忠敬と言えば、日本地図を初めて作った人物。

いや、正確に言えば
伊能忠敬が日本地図を作る以前にも
日本に地図はあったんです。

しかし、どうにもならない代物だった。

江戸時代、ロシア船が北海道沿岸にやって来て
ロシア人が蝦夷地に上陸をしてしまい、
幕府が北海道の警護を固めるために
正確な地図が必要になった。

その時に、たまたま幕府の天文方(測量とかやる係)だった伊能忠敬に
正確な地図を作ってくれという依頼が来た。

この伊能忠敬の話を、
Aさんが講談にしてくれたわけです。


で、私もこの講談を勉強して
初めて知ったんですが、
なんと、伊能忠敬は
57歳になってから地図を作るための
測量の旅に出た!57歳!
この57歳というのは、学校で習った覚えがないんです。


「いま、伊能忠敬の講談 勉強してるんだけど、
伊能忠敬って、測量を始めたのが57歳なんだって。
知ってたー?」
「えええ〜〜⁉️」

となるので、多分、友達も学校で習っていない
という感じ。

57歳まで、商売で大成功して財を成した伊能忠敬、
これからは好きなことをしようと思ったわけです。

講談を覚えてもよかったかも(笑)

伊能忠敬は、若い頃から天文学に興味があったわけで、
時間もお金も出来た60歳近くになって、
もう、自分の好きなことしかやらないぞー
とでも思ったんでしょうか。

57歳と言えば、
陸上のトラックに例えれば、
人生の第4コーナー
とでも言えるかと。

第4コーナーに入ったから
ラストスパートというわけではなくて

ゴールまであと少しだから
第4コーナーは、
じっくり自分の好きなこする時間にしよう
という感じでしょうか?

伊能忠敬のように、
人生第4コーナーから始めたことが、

結局その人のライフワークのようになった人って
他にいるのかなと思った私はちょっと調べてみたら、
いました、いました!

すごく有名な方では、
クリスマスになれば、
世界中にそのおばあさんの描いたカードが飛び交うという
グランマモーゼス

誰でも、一度は見たことあるはず。

グランマモーゼス、モーゼスおばあちゃんは、
なんと、90歳を過ぎてから、絵を描き始めたんです!

元々は、妹さんを喜ばせようと描いた絵が
ある画商の目に止まり、
モーゼスおばあちゃん、90代でいきなりブレイクスルー!

伊能忠敬やモーゼスおばあちゃんを知ると
「もう年だから〜」って、どこの国の言葉?
って思ってしまいます。

人生第4コーナーについて考えるきっかけになった
Aさんの書いた、伊能忠敬の講談、
ほんと、講談やってると、いいことたくさんあります!

「伊能忠敬の講談」の一席でございました。